ドラマから観えた「ハラスメントの難しさ」

最近あるドラマを見て印象的だったシーンがあります。高校生の男子が失恋し、その直後に元彼女が別の男子と付き合い始めたことを知って傷つき、「これはいじめだ!」と学校を休んでしまうエピソード。

この男子生徒にとって、元彼女の行動は自分への嫌がらせのように感じられたのでしょう。しかし客観的に見れば、新しい恋愛を始めることは誰にでもある自然な選択。このシーンを見て、改めて感じたのは「ハラスメント」や「いじめ」という言葉の適用範囲の難しさ。受取側が苦痛を感じれば、それは自動的に「ハラスメント」なのでしょうか? それとも、そこには何らかの境界線があるのでしょうか?

「傷つく=ハラスメント」でいいの?

ハラスメントの研修現場では「受取側が苦痛を感じたら、それはハラスメント」という伝え方をよくしているようです。これは傷ついた人の感情を軽視しないためにはとても重要な視点です。誰かが苦痛を感じているという事実を「気にしすぎ」「考えすぎ」と一蹴してしまえば、深刻な問題を見過ごしてしまう危険性があります。

しかし、この基準を極端に当てはめすぎると、「自分が傷ついたから相手が悪い」という考え方になりやすく、結果として周囲の人々の自由な行動や選択まで制限してしまう危険性もはらんでいます。

ドラマの例で考えてみましょう。新しい恋愛を始めることは元彼女の自由であり、元彼がそれを辛く感じることも人として自然な反応です。しかし、その感情的な苦痛だけを根拠に相手を「いじめの加害者」として位置づけることは、本当に双方にとって建設的な解決につながるでしょうか?

むしろこうした状況では、傷ついた感情そのものは否定せずに受け止めつつ、その原因と対処法について一緒に考えていく姿勢が大切ではないでしょうか。このように前編では、ハラスメントの境界線について「なぜ難しいのか」「どこに注意すべきか」を整理してきました。しかし、問題を理解することと、実際に解決することは別の話です。

後編では、「実践編:感情を尊重しながら解決する具体的な方法」を次のようなこの記事の核心部分をお伝えします。

・教育現場で使える4つの具体的対応法

・心を整理する実践的ワーク

・傷つきを成長に変える6つの力の育て方

・職場・家庭での応用例 「知る」から「できる」へ

より実践的で、明日からすぐに活用できる内容をお届けします。

投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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