昔、私が店舗デザインをしていた頃のことです。
当時は20代女性をターゲットにしたブティックをいくつも担当していました。休日になると「調査」と称して、女性客の多い店を次々に歩き回り、店内で人の動きを観察するのが休日の過ごし方でした。

私が注目していたのは、インテリアや照明ではなく、お客様が「どこで」「どのくらい」立ち止まるか。つまり、「滞在時間」です。どの棚の前で商品を手に取るのか、どの位置で鏡を見ているのか、その一つひとつに人の心理が表れます。特に面白かったのが、ミラー(姿見)の位置と角度。

ブティックやアクセサリー店では、鏡をどこに置くかで売上が変わるほど重要です。ある店では、鏡の向きを少し変えただけで、滞在時間が平均30%も伸びたというデータもありました。理由は簡単です。人は鏡を見ているとき、無意識に他人の視線を気にしている。通路を歩く人と目が合わない角度に鏡を置くだけで、お客様は安心して自分を映せるようになります。

この「安心して自分を映せる」という感覚が、店の居心地を決める要素の一つ。空間デザインとは、単に見た目をオシャレにすることではなく、人が安心できる場所をどうつくるかという心理設計であると、当時、私が先輩から学んだことでした。

そんな経験を経て感じるのは、私たちの日常も同じだということ。外側を整えることに意識が向きやすい現代ですが、本当に大切なのは心を整えること。鏡の前で服装やヘヤースタイルを整えるように、自分の心の表情にも目を向ける時間を持てたら、きっと人間関係も心のコンディションも自然に変わっていきます。

一度、これを試してみてください。
深い悲しみに包まれた時、恥ずかしさで顔を伏せた時、あるいは誰かの言葉に心がふっと軽くなった瞬間。そんな時に、自分がどんな顔をしているかを鏡で見たことがありますか? 

けれども、どれほど鏡を覗き込んでも、あなた自身の「心の表情」は自分では見えません。友人が撮ってくれたスナップ写真を見て、「え、これ私?」と思ったことがあるでしょう。あの表情こそ、意識の外にある素の顔。その瞬間の素の心が無防備に映し出されています。

私自身、かつてイベント会場で講師として登壇した際、スタッフが撮ってくれた写真を見て驚いたことがあります。「こんなに緊張した顔をしていたのか」と。自分では穏やかに話しているつもりでも、心の中の張り詰めた状態がそのまま表情に出ていたのです。それ以来、人と向き合うときには口元とまなざしを意識するようになりました。外から整えるのではなく、内側の呼吸を整えることで表情も自然にやわらぎ、まるで姿見の角度を微調整するように、心の向きを変える感覚です。

表情は心のモニター

表情は心のモニターのようなもので、子どもはそのモニターを読み取る名人です。親のわずかな眉の動きや口角の下がり具合から、「今日は機嫌が悪い」「なんだか元気がない」とすぐに察知します。だからこそ、家庭でも職場でも、まずは自分の心を整えることが、相手や周囲の安心につながります。

外見を磨くことも素敵ですが、それ以上に、心の姿見を磨くことが日々を豊かにしてくれます。朝の身支度のときにほんの少し口角を上げるだけでも、脳は「今、笑顔だ」と受け取り、気分を明るく整えます。その小さな積み重ねが、周囲に安心感を与え、自分の一日が軽やかになります。

表情を意識するというのは、他人にどう見られるかを気にすることではなく、「自分の心をどう使っているか」に気づくこと。姿見の角度を変えて景色が変わるように、心の向きを少し変えるだけで、見える世界がやさしくなります。

私たちは、自分の素の顔を一生、自分自身で見ることはできません。だからこそ、他者という鏡を通して、自分を知り、心を磨いていくのだと思います。誰かの笑顔が自分を映す鏡になり、自分の表情がまた誰かを照らす。その循環の中にこそ、安心して人とつながれる関係が生まれるのではないでしょうか。

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投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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