ある人物が、大衆の前で大きなツボをドンと出しました。 そこへ大きな石を、丁寧に詰めていく。「もうこれ以上は入らない」というところまで、すき間なく満タンに。 そして周りの人に尋ねます。「もうツボは一杯ですか」と。 どう見てもギューギューに詰まったツボを前に、誰もが「いっぱいです」と答えました。

ところが彼はポケットから小石を取り出し、ツボに入れてゆすります。 すると小石は、石と石のすき間にどんどんはまり、かなりの量が入りました。 「もういっぱいですか」——「さすがに、もういっぱいです」。 今度は砂。スルスルと間に入り込み、とうとう満タンに。 それでもまだ、彼は水を注ぎはじめたのでした。

このたとえ話、「やり方しだいでまだまだ入る」という話だと受け取られがちです。 けれど、私が大切にしたいのはもう一つの視点。 それは、大きな石は、後からでは入らない、ということ。 小石や砂を先に詰めてしまえば、本当に入れたかった大きな石の居場所は、もうありません。

目先の小石に、追われていないか

私たちの一日も、このツボによく似ているのかもしれません。 気づけば小石や砂のような用事で、いつのまにか満タン。 急ぎの連絡、こまごました頼まれごと、後回しにできない雑事。 どれも無視できないものばかり。

でも、それで一日が埋まってしまうと、本当に大切な「大きな石」を置く隙間は残りません。 目先のことばかりを見ていると、一番大切なものを見失っていく。 順番の問題なのだと、最近あらためて感じる出来事がありました。

母の発熱と、ひとつの選択

母が健在だった頃の話です。

私のもとへデイサービスから連絡が入りました。 母が三十九度近い熱を出している、どう対処しましょうか、と。 私はとっさに「行きつけの病院に連れて行ってください」と伝えたのですが、デイサービスの規則でそれはできないとのこと。

あれこれ言い合っていても、母の熱が下がるわけではありません。 そこで私は、こうお願いしました。 「母が安心して眠れる状態をつくってください。今の私には何もできないので、あとはお任せします。費用はいくら掛かっても構いません」と。

責任者とケアマネジャーが付き添って、母を行きつけの病院へ連れて行ってくださり、点滴を入れてもらえたそうです。 今は落ち着いてデイサービスに戻り、食事をしているとのことでした。

あのとき私が握っていた「大きな石」は、母が安心して休めること。 病院の名前でも、規則の是非でもなかった。 本来の目的さえはっきりしていれば、迷わず手放せるものがある。 そんなことを、静かに教えられた出来事でした。

方向が定まらない船は

大きな石とは、目的であったり、ミッションであったり、自分が定めた方向そのもの。 方向が定まらない船は、ただ流されて難破するだけです。

目の前の問題だけを見つめていると、いつのまにか目的から外れていく。 逆に、自分にとっての大きな石が見えていれば、小石や砂の扱いは、自然と決まっていくのかもしれません。 順番を、ほんの少し意識してみるだけで。

あなたのツボには、いま何が先に入っているでしょうか。 小石や砂で満タンになってしまう前に、大きな石の置き場所は、まだ残っているでしょうか

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投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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