「ブログが毎日書けません。どうすれば書けるようになりますか」

そんな相談を、よくいただきます。気持ちは、痛いほど分かります。実は数年前まで、私自身も書けていなかったからです。

「変わりたいのに動けない」の正体

書けない理由を、ネタがない、モチベーションが上がらない、と言っている間は、何一つ前に進めませんでした。それどころか、状況はどんどん悪くなっていったのです。変わらなきゃ、とは思っています。けれど違う世界へ一歩踏み出そうとする時、私たちの中では、アクセルとブレーキを同時に踏むような制御がかかります。

きっかけは、いつもほんの些細なこと。
一回くらい休んでも。今日だけは特別。

その一回が二日になり、三日になり、あっという間にひと月。何度も再開を試みるのですが、そのたびに、こんな言い訳が顔を出しました。ネタができたら。やるからには完璧に。時間に余裕ができたら。来月から。これでは、いつまで経っても一ミリも動けません。動けない自分を責める気持ちだけが、積もっていきました。

現在地が見える「1000日修行」

そんな時に、パートナーから「1000日修行」をやってみたらと言われました。やり方は、拍子抜けするほど簡単です。1000日間、書き続けることだけを目的にして、記事のどこでもいいので、1日目なら「1/1000」と書き添える。ただ、それだけ。この方法のいちばんの利点は、自分の現在地が一目で分かるところにあります。どのくらい歩いてきたのか。あと、どのくらい歩けばいいのか。それが見えるだけで、不思議と足が前に出るようになりました。

そして、こう決めました。何を書いてもいい。長文でなくてもいい。人からの評価は、気にしない。少しだけ逃げ道を作りながら動いてみると、くすぶっていたエンジンが、ある日ふっと点火したように、書くこと自体が楽しくなっていったのです。

100日目までは、ただの惰性でした

かっこいい話に聞こえるかもしれませんが、実際はまるで違いました。正直に打ち明けると、100日目まではずっと、「もう今日で終わりにしよう」の連続でした。続けよう、と気合いを入れたわけではありません。むしろ逆でした。いつやめてもいい。どうせ誰に約束したわけでもない。そんな開き直りを抱えたまま、「後一日だけ」と書き添える。その繰り返しでした。

言ってしまえば、惰性のようなものです。でも今になって思うのは、その惰性こそが、仕組みのおかげだったということです。「いつやめてもいい」という逃げ道を握っていたから、やめる自由を手放さないまま、それでも一歩だけ進めた。逃げ道があったからこそ、ブレーキを踏まずにいられたのだと思っています。

100日目に訪れた「もったいない感」

その惰性が、あるとき色を変えました。100日目あたりに差しかかった頃、こわさが出てきました。ここで途中でやめたら、もう二度と書き始められないのではないか。そんな恐怖です。けれど、それと同じくらい、別の感覚が育っていました。100という数字がそこにある。ここまで積み上げてきたものが、目に見えて残っている。だから、やめてしまうのがもったいない。

このとき、はっきりと分かった気がしました。

私を運んでくれていたのは、モチベーションではなかったのです。「1/1000」という、ただの数字。現在地が見えるという、たったそれだけの仕組み。それが、気分の浮き沈みとは関係なく、私の背中をそっと押し続けてくれていました。

数字で現在地が見えると、人は不思議と落ち着きます。ゴールまでの距離が測れると、脳は「あとどれだけ」と見通しを持てる。見通しがあるだけで、今日の一歩は、ずいぶん軽くなるものです。

モチベーションが上がるのを待っていたら、私はきっと今も一行も書けていません。上がるのを待つのではなく、上がらなくても動ける小さな仕組みを、先に用意しておく。継続は、根性ではなく、仕組みで作れるものだと、私は今、そう思っています。

これは、ブログに限った話ではありません。毎日の運動でも、部屋の片づけでも、怒りとの付き合い方でも同じです。大きなやる気で始めるのではなく、現在地が見える小さな仕組みと、いつやめてもいいという逃げ道。この二つがあれば、惰性はやがて、続けたいものに変わっていきます。大きな一歩でなくていいのです。今日の「1」を、ただ書き添えるだけ。その一つが、明日のあなたを、思いがけない場所まで運んでくれます。

さて、あなたなら、1000日を積み重ねた先で、どんな自分に出会っていたいでしょうか。その姿を、少しだけ思い描いてみてください。今日書き添える小さな「1」は、きっとその先につながっています。

コラム目次へ

投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

マイベストプロ
https://mbp-japan.com/kyoto/hirokobashi/