ふとした言葉に、心がざわつくことがあります。相手のつもりと、こちらの受け取り方がすれ違うとき、私たちはなぜか、自分ばかりが傷ついているような気がしてしまうのです。その奥には、気づかないうちに積もった“期待”や“恐れ”が、ひっそりと潜んでいるのかもしれません。

誰にも見せたくなかった自分の弱さ、できれば気づかれたくない、心の影のような想い。でも、そんな自分にそっと光をあてることで、ほんの少しだけ、誰かとの距離がやわらぐこともあるかもしれません。

SNSに潜む“見えない期待”

私の講座や研修では、自己啓発と人間関係を中心にお伝えしていますが、参加者の話題にはSNSにまつわるトラブルがたびたび登場します。SNSは人とのつながりが広がり、新しい情報も得られる便利なツールです。一方で、写真や言葉だけでは伝えきれない“気持ちのニュアンス”が、受け手の解釈次第で大きく揺れてしまうことがあります。

「そんなつもりじゃなかったのに」

「なぜこんなふうに受け取られたのか分からない」

これはSNSに限らず、日常の会話でも起こりうることです。言葉の選び方や言い回しひとつで、話がかみ合わなかったり、関係がこじれてしまうこともあります。誤解が積み重なり、元の関係に戻れなくなることさえあるのです。

私が一番恐れていた言葉

私にも、長く音信不通になってしまった友人がいました。何度か連絡を取ろうと試みながら、どこかでブレーキをかけてしまう自分がいたのです。あるとき、その友人との関係性をテーマに、人間関係のワークシートを使って自分の気持ちを整理してみました。すると、繰り返し浮かび上がってきた言葉がありました。

「偽善者」

それは、私が他人から最も言われたくない、心の奥底に潜んでいた“恐れ”の言葉でした。誰を相手にしても、最終的にこの言葉が浮かび上がってくる。私はずっと、それを否定したい気持ちと向き合わずにいたのかもしれません。「偽善者」という言葉はこんな時にも出てきました。

阪神・淡路大震災のとき、私は現地にボランティアとして赴きました。東日本大震災の際も、叔母を亡くしたことをきっかけに、数台の車椅子を積んで避難所へ向かいました。現地での活動そのものには迷いはありませんでした。けれど、その体験をSNSで発信しようとすると、手が止まってしまうのです。

「偽善だと思われるのではないか」

そんな思いがよぎり、どんな言葉も自分の中で空回りしてしまうのです。

恐れが伝わるとき、関係性も揺れる

自分の中にある“恐れの言葉”は、関係がこじれている相手ほど強く反応します。その相手に、自分が一番言われたくない言葉を投げかけられると、表情や態度に出てしまいます。視線をそらしてしまったり、声のトーンが不自然に硬くなったり、距離を取ってしまったりすることがあります。無意識のうちに、雰囲気やトーンがぎこちなくなり、それは相手にも伝わります。

そして、さらに関係がこじれていく——そんな悪循環が生まれやすいのです。

恐れを自己開示するという選択

けれど、もしその“恐れ”を、相手に対して静かに自己開示できたとしたら——。例えば、「私は“偽善者”って思われるのがすごく怖い」といったように、自分の中で避けてきた感情をそのまま伝えてみるのです。関係がすぐに良くなるとは限りませんが、少なくとも物事は必ず「前に進む」方向に動き出します。

自分の欠点や恐れに気づき、それを受け入れ、さらけ出すこと。それは、自分を偽らないで生きるということでもあり、苦手な相手とのコミュニケーションにも余白と安心をもたらします。無理に良い人でいなくていい。 強く見せようとしなくていい。恐れを知り、それを静かに言葉にしてみる。その一歩が、まるで閉ざされていた心の窓を少しだけ開けるように、誰かとの間にやさしい風を通す扉になるのだと、私は思います。


【小さな実践】

あなたの中の「恐れ」をひとつ書き出してみましょう。そして、その言葉を誰かに言われたら、どんな気持ちになるか。逆に、その恐れが理解されたとき、自分や周囲がどう変化するかも、静かに想像してみてください。

投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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