ずいぶん前の話になりますが、ステンドグラスの体験教室を開いたときのことです。
そこで、とても素敵なご夫婦と出会いました。ご夫婦は、これまでの人生を振り返りながら、「いろんな苦労を二人で乗り越えてきたねぇ」と笑う奥様。その横で、少し照れながら頷くご主人の姿が印象的でした。

奥様は、制作途中のステンドグラスを手に取りながら、こう言いました。
「こうしてガラスのパーツ同士がくっつくと、今まで一人だったパーツが作品として繋がる。まるで家族になったような愛情を感じます」
その言葉の通り、ガラスに対して愛情を注ぎながら、どんなことも子どものように楽しむ姿はとても魅力的で、まわりの空気までもやわらかくしてくれるようでした。

自分の感情を素直に表現できる奥様。そのすべてを静かに受け入れているご主人。そこに、夫婦という枠を越えた信頼の形を見た気がしました。お二人を見ながら、「制限を外す」というのは、自分の感情をそのまま受け入れることなのだと改めて感じました。それは、童心に還るような自由さであり、素直さを取り戻すことなのかもしれません。

人は誰しも「制限」を持っています。生き方、感情、仕事、食、そして人間関係にも。もちろん、私自身にもあります。気づいている制限もあれば、気づかないまま抱えているものもあります。例えば、私は食事は好き嫌いがありませんが、子どもの頃は、食べてもいないのに見た目だけで「まずい」と思い込むことがありました。ところが、大人になって食べてみると意外とおいしくて大好物になっています。

私たちは、過去の体験や知識、思い込み、あるいはトラウマや劣等感によって、無意識のうちに行動や感情を制限しています。もしその制限を外せたなら、視野が広がり、心も行動も柔軟になり、人生観さえも変わり、今までと違う景色が観えるかもしれません。

ただ、私のように歳を重ねてくると、制限を外しただけでは観えないことがあります。なぜなら、人は年齢を重ねるほどに「観たいものだけを見てしまう」傾向があるからです。自分の価値観のフィルターを通して、都合のよい景色だけを切り取ってしまう。それは一見、合理的に見えて、実は心を狭めているのかもしれません。

だからこそ、「制限を外す」ことは、ただ枠を壊すことではなく、その枠の存在を認めながら、外の景色をもう一度見つめ直すことだと思うのです。先日、こんな気付きがありました。長年使っていなかった万年筆にインクを入れた際、また昔のように日記を書いてみたくなりました。こうした手間のかかることの中にこそ心を映す時間があります。

久しぶりに万年筆を手にしたとき、ペン先から流れる文字のかすれ具合に、「この筆圧が今の自分なんだな」と感じました。便利さに慣れていると、手間の中にある静けさを忘れがちですが、ゆっくりと文字を綴ることで、心の奥にある声がふと顔を出すのです。そうして静かに自分を見つめる時間が、心を少しずつ自由にしてくれます。

制限を外すというのは、何かを手放すことよりも、自分の中にある「しなやかさ」を思い出すこと。歳を重ねるほどに、凝り固まった価値観を揺らしながら、新しい視点で人や出来事を見つめ直す力。それこそが、人生を豊かにし、人間関係をしなやかにする鍵のような気がします。

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投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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