「なんでこんなに、他人の目を気にしてしまうのだろう?」そう思ったことはありませんか。誰かの言葉に過剰に反応したり、評価を気にして本音が言えなくなったり――それは単なる性格の問題でも、弱さでもありません。実はその背景には、ある“心のしくみ”が働いているのです。今回は、私自身が経験した「評価に縛られていた過去」から、どうやって自分の軸を取り戻したのか、そして、心を整えるための小さな実践についてお伝えします。

「他人の評価なんて気にしない」 そう言い切れる自分になりたくて、でも、なれなかった時期がありました。実際には、常に誰かの目が気になっていました。

評価への執着に気づいた瞬間

先日、パートナーと何気なく話していたときのこと。 「昔のあなたって、人の目ばっかり気にしてたよね」その言葉は、不意に差し込んできた光のようでした。 一瞬、胸の奥にざわめきが広がり、無意識に忘れようとしていた「あの頃の自分」の記憶が、静かに浮かび上がりました。誰かの評価を求めて空回りしていた、張り詰めた心。 その記憶が、言葉とともに穏やかに蘇ったのです。

仕事と評価がすり替わった時期

私は長年、建築の仕事に携わってきました。クライアントの要望を形にし、社会に残る構造物をつくることにやりがいを感じていました。 しかし、ある時期から仕事が思うようにいかなくなり、受注も減っていきました。焦り、不安、自信の喪失。 そんな時、私の思考はこう向かっていったのです。

「コンペで賞を取れば、また評価される」 「注目されるためには、目に見える成果を得なければ」

気がつけば、本来向き合うべき仕事や人との関係よりも、どう見られているかに重きを置くようになっていました。行動の目的がすり替わり、気づけば自分の本質ではなく、他人の期待に応えることが基準になっていたのです。そんな私にストップをかけてくれたのが、パートナーの一言でした。 その言葉に、自分でも気づいていなかった「評価への執着」を教えられ、自分の軸を取り戻すきっかけとなったのです。

評価を気にする心理の構造

他人の評価を過剰に意識する背景には、単なる見栄や虚栄心以上に、繊細で深い感情があります。 具体的には、次のような心理が積み重なっています。

  • 自分をよく見せたい(自己肯定感のゆらぎ)
  • 失敗したと思われたくない(羞恥心)
  • 馬鹿にされたくない(劣等感)
  • 無価値だと思われたくない(存在の不安)

これらはすべて、「自分を守るため」に生まれる心の反応です。心理学では、これを「対人認知欲求」と呼びます。この欲求が強いとき、私たちはどうしても他者からの評価に自分の存在価値を預けてしまいがちになります。けれど、それが苦しさを生む。自分が自分の価値を認めていない限り、いくら外から評価されても、どこか空虚で、どこか不安定なのです。

魔法のように効いた言葉

では、そこからどう抜け出せばいいのでしょうか。そんな状況を変えようと模索する中で、ある日ふと思いついて口にした言葉がありました。「その考え方も、ありやね」これが思いがけず、自分の心を軽くし、相手との関係性まで変えてくれたのです。

相手が自分とは違う意見を言ってきたとき。 年下の人が率直に何かを伝えてきたとき。以前の私は、つい身構えていました。 でも、この言葉を口にするようになってからは、自分の中の警戒心も和らぎ、相手との距離感が不思議なほど縮まりました。相手が自然と笑みを返してくれたり、「そういう見方もあるんですね」と返してくれたりするたびに、心の距離がぐっと近づいていくのを感じたのです。

自分自身の価値を手放さないために

他人の評価が気になること自体を、否定しなくていい。でも、その評価に振り回されないためには、「自分自身の価値」を、自分の手で認める作業が必要なのだと思います。それは一朝一夕にできることではないけれど、小さな実践の積み重ねで、少しずつ整っていくような感覚があります。

小さな実践

心がザワザワしたりモヤモヤしたときは、次の3つを自分に問いかけてみてください。

  1. なぜ気になったのか?
  2. その奥にある感情は何か?
  3. 本当はどうしてほしかったのか?

どんな答えが出ても、それを否定せずに、「これは自分を守るための感情かもしれない」と穏やかに受け止めてみましょう。きっと、感情が静まり、少しだけ心がやわらぐはずです。

最後に、評価に縛られていた過去の自分へ。そして、いま同じような思いを抱えている誰かへ。自分のまなざしで、自分を見つめる時間を大切に。 他人の評価に左右されない「本来の自分」を取り戻すために、一緒に一歩を踏み出してみましょう。

投稿者プロフィール

小橋広市
小橋広市
武蔵野美術大学卒業後、東京の建築デザイン事務所に就職。その後、京都で建築士事務所を設立。人の共通心理をとりいれた店舗や狭小住宅の企画設計を生業としていたが、59歳で心筋の半分以上が壊死する重度の心筋梗塞で倒れ、事務所を廃業。紆余曲折を経て住環境ライフコンディショニングコーチとしてリスタート。近年では、企業研修において、それぞれの組織に応じた内容にカスタマイズし提供している。

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